チェルヌスキ美術館は創立当初から朝鮮の美術品を所蔵してる。最近は順調にコレクションを充実させている。

"朝鮮の新石器時代(紀元前およそ8000年から1000年)はほとんど日本および中国と同じくらい古いが、大きな政治権力が現れるのは紀元後3世紀を待たなければならない。それはやがて朝鮮半島を三つの国に分割する(三国時代、紀元前1世紀から668年まで)。高句麗が北部の広い地域を占め、百済は中央と南西部、新羅が南東部を占めていた。高句麗にある、壁画を備えた立派な墓や百済の墓の複雑な構造は、これらの宮廷の高い洗練度を想像させる。仏教が朝鮮に入ったのもこのころで、石やレンガ作りの仏塔や青銅の彫刻が残っている。

新羅の王たちが最後には他の二つの領土を吸収し、統一新羅を建国する(668-935)。首都は中国の首都、長安を手本に、朝鮮南東の慶州(キョンジュ)に作られ、唐時代の中国とシベリアの様々な文化の交じり合った国際色豊かな文化の中心地となった。墓から発掘された金と翡翠を散りばめた美しい王冠の数々がそれを物語っている。

農民反乱により、この黄金時代が終り、新しい王朝、高麗(935−1392)が開城(ケソン)を王都として開かれる。高麗はすぐに中国北部を襲ったのと同じ遊牧民族、契丹(キタン)、女真(ジョシン)、蒙古(モンゴル)の襲来を受け、防戦しなければならなくなる。この時代は、宮廷にとって困難な時代ではあったが、新しい芸術的創造は豊かで、特に青磁に代表される陶磁器は中国においても高く評価された。

14世紀後半には、朝鮮は南シナ海と黄海を荒らす日本人海賊に立ち向かわなければならなかった。混乱に乗じて権力を握ったある将軍が李氏朝鮮(1392-1910)を興す。また遷都が行われ、今度は漢陽(ハンヤン、現在のソウル)に定められた。儒教が公式に認められ、仏教は退けられる。このことは深く社会を組み替えた。寺院は国家の支援を受けられなくなり、危機に陥った。15世紀に、王の世宋(セジョン 1397-1450)がハングル文字を定め、朝鮮語を表記できるようにして、古典中国語を扱うことのできない層が教育を受けることができるようになった。この時代の芸術は新しい傾向を示している。絵画では朝鮮のしきたりや風景を描くようになり、炻器と磁器は中国の影響を完全に離れたものとなり、家具や装飾品は儒教の教養人の好みに合うものとなり、漆には螺鈿が散りばめられた。

20世紀は朝鮮にとって苦しい世紀だった。日本による植民地化(1910-1945)、朝鮮戦争(1950-1953)を経て、朝鮮半島は二分され、それぞれ別の発展をすることとなったが、一方は共産主義、もう一方は右寄りの、いずれも独裁を経験した。1980年代になって、北朝鮮が安定し、韓国は民主化され、朝鮮の二つの運命の違いを物語っている。こうした出来事が朝鮮の芸術には大きな影響を与えた。"

 

朝鮮絵画
チェルヌスキ美術館の絵画作品コレクションは、主に20世紀、21世紀の芸術のものだが、美術館とアーティストのリー・ウンニョ (李應魯 1904-1989)の緊密な協力のおかげで誕生した。
朝鮮装飾美術
チェルヌスキ美術館の朝鮮コレクションの元になったのは、アンリ・チェルヌスキがアジアから持ち帰った高麗時代の鐘である。