Boddhisattva

Anonyme

Entre 1403 et 1424
Bronze, Dorure
Objet religieux, Statue
Don manuel : Tarn, Pauline Mary

M.C. 5173

この金青銅の大菩薩立像は、1904年に初公開され、美術館にその寄贈者、ルネ・ヴィヴィアンという有名なレズビアン詩人、本名ポーリーヌ・マリ・タルヌ(1877-1909年)の名を永遠に留めている。この蒐集家は19世紀末パリの規格外れな人物で、「毎日仏像を一体」取得すると豪語していた! そのお披露目はアヴニュー・ド・ボワ(現在のアヴニュー・フォーシュ)にある彼女のアパルトマンで行うと告げられ、そこで彼女は友人たちを招いて古代風のパーティーを催していた。
アトリビュートがないため、この菩薩が何であるかは明確には分からないが、S.ハンメルは弥勒菩薩として公開した。軽く腰をくねらせ2つの蓮(ここでは折れているが)に囲まれて、その仏特有のアトリビュートを手にするこのタイプの菩薩立像は、中国ラマ教芸術に繰り返し出てくる図像学的テーマのひとつである。この菩薩はもう1体の菩薩とともに仏陀座像を囲んでいたに違いない。
1977年には間違ってもっと遅い時期の作品と考えられていたが、この像はそのすぐ後にウルリッヒ・フォン・シュローダーによって正しく年代が定められた。1996年に台座を洗浄した際に中国密教の規準となる3つの言語で刻まれた、永楽帝の治世の印が現れたのである。ほとんど「写実的」な襞をもつ肩掛け、胸には3重になった提げ飾りの宝飾の豪華な宝石類、脚には端が首飾りあるいはベルトにつながれた半円形の「垂れ飾り」、そしてネパールの輪郭を思い出させる花形装飾の付いた宝冠、これらは、明初期に帝国の工房で生産された青銅仏教美術品の特徴である。
この作品は、永楽帝時代の大型の青銅作品で今日まで残っている数少ないもののひとつである。

Reference(s) : ジル・ベガン(監修)『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.144-145。