Gibbon d'après Li Sheng

Zhang, Daqian 張大千, né en 1899, décédé en 1983

En 1945
Papier, Encre, Couleurs - Pigments
Peinture
弘丘子爰; 張爰之印; 大千
Don manuel : Guo, Youshou 郭有守, Docteur

M.C. 8711

 款識 : 瑟瑟煙空按暗夏明,紫崖果上月痕生。深宵忽聽霜林響,知是蒼猿拗樹聲。乙西年六月避暑昭覺寺临元人李升本。弘丘子爰

印 : 1. 張爰之印 (白文) 2. 达千 (朱文)

訳: すべては煙と消え、影は明るみに場所を譲る
紫色の崖の上、東の方に月の光が通る
深い夜、凍った林に響く音を聴く
木につかまっている灰色の猿の声
乙西(1945)年六月、昭覺寺で夏を過ごした際、元の李升のオリジナルを写した。弘丘子爰
「世界中のあらゆる動物のなかで、猿は最も繊細で感情豊かで、かつ傷つき易い」 張大千(チェンダーチェン)が書き記したこの意見は、他を必要としないで行きている猿への憧憬を表している。画家はこの動物のなかに、服従を拒む者を見て、自分をそこに投影するのを好んだようだ。というのは、張大千の生まれる少し前、母は一人の僧が彼女に一匹のテナガザルを与える夢を見て、意味ある行為と考えていたのだ。彼はこの夢を記念して後に張援(張猿)と改名している。張大千の作品を見れば、テナガザルへの関心が確認できる。 1934年からすでに彼は、梁楷 (リャンハイ 13世紀の画家)と署名した眠っているテナガザルの絵を2つ、描いている。この贋作は、日本に所蔵されていた古画、より詳しくは 牧谿(ムーシー13世紀)について正確な知識を持っていたことを証している。チェルヌスキ美術館所蔵の絵が描かれた1934年から1935年の間には、他にもテナガザルの古い表象に張大千の研究が及んでいたことは確かである。したがって、張大千がこの絵の元になったとして、 李升 (リーシュン 16世紀)を引き合いに出すのは驚くにあたらない。
張大千は古い画家の遺産を標榜する一方で、たとえば同じくテナガザルを描いた実の兄、張善孖(チャンシェンツー)など、現代画家からの影響も遠ざけはしない。張善孖は野生動物であっても絵に描く動物を飼育するのをためらわず、網師園の自宅に虎を飼っていた。この家に1930年代末、弟の張大千も住んでいた。後には張大千の方もテナガザルを飼い、絵画からの知識のみならず、直接の観察と日々の触れ合いにより知見を深めた。テナガザルの敏捷な姿は不思議な鋭さで表現され、 牧谿のスタイルの絵画らしい様式化された表現とは異なっている。このような変化は、工毛画の技術を獲得しようとした1940年代初頭の張大千の研究の結果である。大きな緑色の葉の表現は、この工毛画のスタイルを使いこなしていることを証明している。この細密な扱いは、猿がぶらさがる枝と蔓の複雑な絡み合いとコントラストを成している。枝の簡略な線は崖や滝の様式化した表現と調和が取れている。

Reference(s) : ジル・ベガン(監修)『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年

マリー=テレーズ・ボボ, 『チェルヌスキ美術館 : 現代中国書画コレクション』チェルヌスキ美術館コレクション, アランソン, アランソン印刷 1985年