Nu assis au peignoir rouge

Pan, Yuliang 潘玉良, né en 1894 à Yang-Tcheou, décédé en 1977 à Paris

En 1955
Papier, Encre, Couleurs - Pigments
Peinture
Signé et daté " Yuliang 55 "
Legs : République Populaire de Chine. Ambassade (France)

M.C. 9699

 座している裸婦 :
款識 : 玉良

赤いバスローブをまとった裸婦
款識 : 玉良
印 : 玉良(白文)

1950年代の初め、潘玉良はすでに10年来、油絵と墨絵を同時並行して描いていたが、ここへ来て2つの異なる技術を超越するスタイルが誕生した。スタイルとしての統一性は、この芸術家が慣れ親しんでいた墨絵、水彩、油絵の交差点にあるが、もう少し重要性が低くはあれ、版画や彫刻も参加させようと彼女は試み、成功している。こうして、油彩で描かれた「座している裸婦」の輪郭は、軽さと変化を墨の素描から取り入れている。逆に、「湯上がり」(国立近代美術館よりギメ美術館に委託保管、AM3371P)と「赤いバスローブをまとった裸婦」という紙の上に描かれた2つの作品における肉付けの効果は、彼女の油絵から移植されたもので、「座している裸体」がそれを証明している。ハッチングを用いた色彩豊かな背景は、その濃さに応じて、光を調節し、キャンバスの上であれ紙の上であれ、主題を引き立てる。このスタイルの統一性は、肉体描いた作品に現れる、表現の注目すべき一貫性と分けて考えることができない。
女性の裸体は、1940年代からすでに潘玉良の作品において飛び抜けた位置を占めている。当時、この芸術家はモデル個人の他人とは異なった肉体的特徴を捉えることに執着していた。この現実依存は、様々な異なるタイプを表象することとなって現れる。多様性の追及は、1939年の作品で、白人女性と黒人女性を並べて描くとき、対立にまで至る。これらの作品を1950年代以降に描かれたr裸婦像と較べてみると、芸術家の主観によって肉体の像が深く変容していることが分かる。 以後、彼女の絵の主題は、成熟した女性、大きくも小さくもなく、ある程度ふくよかで、つねに黒髪の女性となるのだ。しかし東洋的な性格は、一般に裸婦を取り巻くディテールによって薄められている。ステレオタイプに陥ることなく、潘玉良の描く女性たちは、友愛によって結ばれているように見え、それは彼女の作品の統一性に寄与している。 肉体の変わった特徴は描かれなくなり、感情を表現する姿勢を描くようになる。それは恋愛感情や母性的感情のこともあるが、より多くは様々な形での内省である。
1950年代初めに描かれたこの3つの裸婦像のなかで、2つはすぐにフランスの法人が取得した。「湯上がり」は1955年に国のコレクションに入り、「座している裸婦」は1958年にパリ市のコレクションに入った。「座している裸婦」を寄贈した2人は、郭有守と周林で、パリの芸術界における潘玉良の不思議な立ち位置を明らかにする。郭有守は、その外交官としての地位と広い交友関係を持ち、自分の友人である芸術家たちがパリで展覧会を開く機会を作ることができ、いくつかの作品を美術館に寄贈もした。潘玉良による張大千の胸像をパリ市立近代美術館に寄贈したのも彼である。周林は、フランス中国人芸術家協会会長で、出版活動も行っていた。これら、中国知識人コミュニティーの介入は、潘玉良の作品がこの人々の間で高く評価されていたことを物語るが、逆説的にこの芸術家をアート市場から引き離した距離、1960年代以降、彼女の創作を襲った孤立も物語っている。