Calligraphie

Zhang, Bi 張弼, né en 1425, décédé en 1487

Entre 1425 et 1487
Encre, Papier
Calligraphie
H. 151.7 x l. 36.5 cm
東海翁; 汝弼
Achat :
M.C. 9253

款識:紀錄紛紛久失真,語言輕重在文臣。若教字字論心術,應有無邊受屈人。此劉翰林先生之作也。東海翁。
印:汝弼 (朱文)

翻訳 : 記録がバラバラになり混じり合い、真実は失われて久しく、言葉の意味を推し量る仕事は文官にまかされている。もしその意味するところをただ字義通りに読むなら、偏見の犠牲になるものは数知れないだろう。これは文人、劉先生の言葉である。東海翁(張弼の号)。張弼(ちょう ひつ/チャンピー)は詩と書をよくした教養人で、江蘇省華亭(現在の松江)の出身だった。1466年に進士試験に合格。首都で官吏の職に就いたが1478年、失脚して江蘇省南安に送られる。6年の間、この片田舎の監督官を勤めてから生まれ故郷に隠棲して余生を送った。
張弼は、自分の書は詩に及ばず、自分の詩は書に及ばないというのを常にしていたが、それでも同時代人の張駿と並んで、彼の時代の最も重要な書家の一人に数えられている。そのスタイルは、明初期の 宋廣や陳璧との接触から形成され、唐代の手本、特に 懷素 (v.735-800 ?)に想を得て発展したに違いない。 張弼の狂草(草書の一種)は祝允明 (1460-1526)より数年先行しており、明の時代のこのジャンルの歴史における重要な指標となっている。
号の「東海翁」と署名されたチェルヌスキ美術館の書は、張弼(ちょう ひつ/チャンピー)の円熟期のものである。このような狂草の例は、 懷素(フアイスー)の手本を超えている。際立ったリズムが筆の太さのバリエーションの豊かさに現れる独自なスタイルである。文字の大きなことも、彼に独自の大きさのあるレイアウトとなっている。
張弼が引用し書き残した詩句は、文献を解釈して歴史の正しい概念を伝えるべき文人の責任を強調している。
この詩句は劉因 (リウイン 1249-1293)によって書かれたもので、13世紀の王朝の後退期にあった歴史的文脈に照らして理解されなければならない。この文化人であり官吏であった人物は宋帝国の崩壊に立ち会った。彼は蒙古人たちが権力の座に上ると程なくして公生活から退いた。 彼の詩からは、歐陽修 (オウヤンシオウ 1007-1072)、黃庭堅 フアンティンチエン(1045-1105)、 蘇軾 (スーシー 1037-1101)らへの憧憬が感じられ、宋の黄金時代への懐旧の念が表れている。

Reference(s) : ジル・ベガン(監修)『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.150。
エリック・ルフェーヴル『中国絵画の6世紀,チェルヌスキ美術館修復作品』 パリミュゼ 2008年
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