Bol en forme de bronze antique chinois

Aoki, Mokubei 青木 木米, né en 1761 à Kyōto, décédé en 1833 à Kyōto

Entre 1761 et 1833
Grès, Glaçure = Couverte
Bol
Cachet imprimé sur le flanc intérieur du pied : "Mokubei" 木米
Legs : Cernuschi, Henri

M.C. 4228

青木木米は19世紀前半の偉大な芸術家の一人で、その芸術は徳川時代の日本に中国文化が強く浸透していたことを教える代表的なものだ。高芙蓉(1722-1784)や田能村竹田(1771-1831)また木村蒹葭堂(1736-1802)のような芸術家と知識人にじかに触れて学び、奥田穎川(1753-1811)の影響を受け、製陶技術を穎川に学んだのではないかと思われる青木木米は、陶工、書家、そして中国の影響の非常に強い、南画の画家となった。木米は、多才で、ひとつの芸術分野の専門家となるより、教養と生活の中にある美術を優先する傾向を持つ芸術家の代表例である。この傾向の芸術家たちは、前の世代の日本人芸術家たちの意表をつき、茶の湯の諸派で編み出されて来た美学に対抗して、中国の文人流の煎茶の点前を対置させた。煎茶は1654年に禅僧隠元によって日本にもたらされたという。木米は書道をはじめ非常に多くの領域で優れた能力を発揮したばかりでなく、非常に様々な技術を使った作品を残した。
木米は、青磁の作品を作った京都で最初の一人だが、この茶碗を作りながら、多くの中国の青磁が、宋の時代にすでに、古代の花瓶の形を真似ていたことを思い出す。これはおそらく古代の青銅の変色を思わせる青磁の色のせいだ。すでに木米以前に、京都の偉大な陶芸家であった奥田穎川(1753-1811)が古代青銅の形を採用し、明朝(1368-1644)のころに人気のあった形で釉薬をかけた陶磁器を作っている。

 

Reference(s) : ミシェル・モキュエ、 「日本陶芸: チェルヌスキ美術館のコレクションの選択」 パリ、パリミュゼ, 2010. p.97. 5: VI
ミシェル・モキュエ、 『チェルヌスキ美術館、アンリ・チェルヌスキ 1821-1896、旅行家・蒐集家』パリ、パリミュゼ、1998年刊行。109番、p.124、図版p.125
ミシェル・モキュエ、 「チェルヌスキ美術館の後期江戸時代京都陶芸」 ”Orientations"23巻 1992年8月8日号、p.37-41.
Author of the record : ミシェル・モキュエ