Encre orageuse : composition abstraite, n°44/99
Encre, Papier, Lithographie
Calligraphie, Livre
Don manuel : Morin-Müller, Benjamin
M.C. 2014-18
朱徳群(チューテーチン)は、20世紀後半の有名な中国人芸術家である。1920年に生まれ、杭州にある中国美術学院に学んだ。中国美術学院は、中国の伝統と近代的西洋画の総合を行った主な先駆者の1人、林風眠(リンフォンミェン)が指導していた。卒業すると南京、ついで台北で教師となり、数世代の抽象画家の範となった。1955年にフランスに来て、多くの中国人芸術家と同様、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールに通った。しかし彼の芸術の発展にとって大きな出来事は、1956年にニコラ・ド・スタールの作品と出会ったことだ。朱徳群はこれで完全に抽象画家となる。短期間のうちに、ニコラ・ド・スタール (1914-1955)の絵の具のベタ塗りからハンス・アルトゥング (1904-1989)の動作から生まれる表現まで、エコール・ド・パリの造型言語を自分の絵に取り入れ、混ぜて使うようになる。.しかしエコール・ド・パリに参入した彼の作品は、 1960年代の初めから、中国芸術の伝統を参照していた。タイトルであれ色のついた広がりを用いた風景の示唆のなかであれ、その色の変化は水墨画を思わせ、出身国の絵画構図を思わせる。この新しい総合が彼を有名にし、中国現代シーンでのステイタスをもたらした。『アンクル・オラジューズ(嵐の墨)』、死の直前に発表された最後のリトグラフ集は、朱徳群の晩年のスタイルの特徴を十全に表している。支持体の真ん中に色のついた無数の小さいタッチがあり、それが筆による暗くて幅の広い線が作る複雑な構図を照らす。彼はまた現代の造型言語と中国の伝統とをこのように総合した代表例でもある。リトグラフとリトグラフの間には草書体で書かれた、林逋 ( 967/968-1028), 李漁 ( 937-978) et 蘇軾 (1037-1101 )の詩が挟まり、詩に書かれた景色が次の絵に描かれるのである。