Nu assis

Chang, Yu 常玉, né en 1901 à Sichuan (province), décédé en 1966 à Paris

En 1930
Papier, Crayon
Dessin
En bas à gauche, dédicace : "à mon cher ami Dahan".; En bas à droite, sceau dessiné : "Yu"; En bas à droite, signature "Sanyu"
Don manuel : Société des Amis du musée Cernuschi

M.C. 2010-5

常玉(サンユー)は、四川省生まれ。教養ある環境のなか、産業の近代化により富を築いた家庭の出である常玉は、早くから芸術的関心を西洋に向けた。1918年から1919年に日本に滞在した後、彼は1921年にヨーロッパに向う。
同時代の林風眠(リンファオミェン)や徐悲鴻(シュベイホン)のように、常玉は一時、ベルリンに滞在した後、パリを選んで修行するが公的な養成機関には通わなかった。龐薰琹(パン シュンチン)による1920年代終りのグランド・ショーミエールのアカデミーについての記述を見ると、 常玉がどれほど学校に通わずアトリエに籠ったかが分かる。そこで彼は自分の墨のデッサンのほとんどを描き、パリで当時活躍していた中国人の若い芸術家のほとんどに影響を与えたに違いない。
同時代人の多くと異なり、常玉(サンユー)は、美術学校に通わなかった。これは、 龐薰琹(パン シュンチン)の証言によれば、意識して選択したもので、過去の傑作を学ぶよりも同時代の巨匠から学ぼうとしたのである。そのため、彼の非常に珍しい批評的文章はピカソについてのものだ。彼の作品はまたその他の影響も語っている。まずマチスで、ジャーナリストで美術愛好家だったアルベール・ダーンに献辞のある座った裸婦のデッサンにそれが明らかである。常玉には滅多にないことに、このデッサンには日付がついているので、1930年代ごろ、この若い中国人がかはフランスの巨匠の省略的なスタイルを完全に消化していたことっを示唆している。

Reference(s) : エリック・リフェーヴル, 『パリの中国人芸術家』 パリミュゼ, 2011
 ISBN 978-2-7596-0175-2