Vase dou 豆

Anonyme

Vers 1118
Bronze, Fonte à la cire perdue
Objet religieux, Vase
H. 18.5 x D. 25.5 cm
Legs : Cernuschi, Henri
M.C. 98

銘 :  惟(唯)政和八年十月戊子皇帝[崇 ?]举上真作豆以祝长生大帝君其万年用保用
型の跡はまったく見られない。つまりこの作品は蝋型法-おそらくは2つの部分の-で鋳造されたものだ。膨らみ部分の装飾帯の上と下の間にくぼみがあり、内部にはなんの跡もみられない。この器は他の豆(とう/ドウ)(台北、故宮博物館)と同じく、鋲打されて作られていない。この青銅器は上部外側に刻まれた銘があり1118年の日付がある。その内容は少し変わっている。宋の信仰においてはメジャーでない長寿の神(長生大帝)に捧げられているようだ、だから後で付加されたものかもしれない。というのは、この銘は、驚くべきことに、私の知る限り、青銅器の銘の集成のどこにも見当たらないのだ。これが取得されたのは、おそらく1872年、アンリ・チェルヌスキによってだが、それはもちろん、孫 詒譲(そん いじょう 1848-1908年)の『宋政和礼器文字孝』の出版よりも前である。この刻み方は、この時代の銘よりもダイナミックで、より新しいもののようだ。しかしその様式は宋のものである。一方で、脚の模様は宣和三年山尊(北京、紫禁城、故宮博物院)のそれにとても近い。
もうひとつ、疑う根拠がある。この器は豆と呼ばれ、ふつう予期されるように鋪(ポウ)と呼ばれていない。重刊博古図と博古図が例を挙げている。博古図は、呼称を取り上げて、鋪はたしかに一首の豆であると言っている。とは言っても、博古図のなかで用いられるのとは別の名称、その編纂が銘の日付と同時代であるのに、豆が選ばれたのは不思議である。鋪という語は「金」という字を含んでいるが、「豆」は伝統的に木、少なくとも、部分的には木 - カゴ細工である(博古図、18章、17)。しかし博古図の分類法がまだ18世紀にも使われていたことから、西清古鑑 (清朝内府蔵の古銅器の形態を模し、銘に釈文を付した図録)の編纂された時代には、豆という呼称は新しい創造物を意味していない。
偽物であるなら、よく出来たものである。作り手は正和鼎(台北、故宮博物館)やのような宮廷コレクションや『宣和三年山尊』に残された宋の器の銘を熟知していたに違いない。器自体についてもである。

Reference(s) : 重修宣和博古図録 [図録1111 および 1125 編集 王黼], 重刊博古図録 の 1528年版をもとに序文 をつけて出版された1636年版。
ミシェル・モキュエ, 『宋から清の中国青銅器』 パリミュゼ,2013年 p. 42-43.