Glaive

Anonyme

Entre -453 et -221
Bronze, Fonte
Arme
Achat :
M.C. 8621

両面が刃になっている平らな剣が中国にはかなり遅くなって現れた。河南の上村嶺(じょうそんれい)で発見された最も古い例は、それが紀元前655年以前に使われていたことを証明している。その起源については論争があり、西周時代(紀元前1050-771年)の短刀が発展したものだと考える者と、7世紀前半に周王国の南と西の境界に住んでいた蛮族との接触の結果産まれたものと考える者がある。
剣は貴族の墓には必ず見つかっている。
呉、魏、蜀の三国が非常に活発な生産拠点を持っており、その剣を中国北部の晋まで輸出していた。呉では貴石とトルコ石を象眼するのが特技だった。一般的には青銅で、刃は鉄でも鋳造されるが、中国では、墓に置かれる武器として鉄が青銅に取って代わることはなかった。
この剣の鍔には14文字の銘と、南中国の王国に特有の字である「鳥篆(ちょうてん)」に似た文字が14記されている。そこには出資者として、越王、州勾(ズーグー)の名がある。その治世は紀元前448年から412年だった。古書によれば、州勾(ズーグー)のためには10の剣が作られている。鍔の一方の側には渋面があり、良渚(りょうしょ)文化(紀元前3400-2200年)の翡翠を飾っていたなぞの顔の何千年後の谺である。

Reference(s) : アラン・トート,「良渚文化の仮面から東周の時代へ」,Arts Asiatiques (アジア芸術),1996年,51号。p.66。ジル・ベガン,『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.54。
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