Masque funéraire

Anonyme, Anonyme

Entre 907 et 1125
Bronze, Dorure
Parure, bijou
H. 24.1 x P. 21.5 cm
Don manuel : Deydier, Christian; Deydier, Agnès
M.C. 2001-8

死者の装身具2つを構成するものは、遼朝の下、契丹人のエリートの間で行われていた埋葬の貴重な資料である。契丹人は体をミイラ化させて、金属の要素を含む服を死者に着せている。遼の正史はこのような埋葬用の装身具について曖昧にしか言及しておらず、単に「死体を覆うもの」とのみ言っている。1980年代に発見された2つの墓からは保存状態の良い遺体が出て来たので、古文書に書かれていた数少ない細かい点を検証し肉付けすることができた。
チェルヌスキ美術館の仮面はそれぞれ鎚で打って形を作った青銅の1枚板でできている。丁寧に磨かれた後、金箔が施されている。死者の仮面は発掘の際、よく見つかる物ではない。格調を高めているのは繊細な線刻で、たとえば髭などはそれだけで女性と男性の仮面を見分ける役に立つ。閉じたまぶたは優雅に波打つ線を描いている。仮面の縁に空けられた穴は金属製の屍衣に結わえつけるのに使われる。死者に被り物がつけられているケースはもっと少ない。織物で作られたものはほとんど残らなかったのだろう。チェルヌスキ美術館の仮面には、どちらも金メッキをした金属板の被り物が付けられている。金属板は複数あり、透かし彫りがしてあり、金属紐でまとめられている。
金メッキ銀でできた男性の被り物は、仕上げが複雑だ。透かし彫りをして縁が葱花アーチの形にカットされた24枚の板が3つずつまとめられて4本の軸で作られた骨組みにつながれている。そのひとつひとつに鴛鴦(おしどり)か鳳凰(ほうおう)の装飾がついていて、それに8羽の鶏が、金属製の糸の端で揺れながら応じている。この動く要素は、中国東北部で見つかった、燕(335-436)の時代や朝鮮王朝の高句麗(紀元前37年から紀元後668年)の步搖(ブーヤオ、女性の冠/髪飾り)を思い出させずにはおかない。一方、イコノグラフィーの方は中国文化を思わせる。遼の正史には書かれていないが、このような被り物は管理たちの正装の一部だっただろう。これに先行するものは多くある。透かし彫りのある金属の薄片は、朝鮮の王国、新羅(57-935年)の王冠を思わせる。
この珍しい一式は、様式的な特徴から12世紀の最初の四半世紀のものと考えられる。

Reference(s) : ジル・ベガン(監修)『チェルヌスキ美術館,1993-2004の中国美術取得作品』Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2005, p.124-126