Paysage d'après Wen Zhengming

Puru 溥濡, né en 1896 à Pékin (Beijing), décédé en 1963 à Taipei

Entre 1947
Papier, Encre, Couleurs - Pigments
Peinture
H. 100.6 x l. 32 cm
西山逸士; 舊王後; 溥濡; 松巢客
Don manuel : Guo, Youshou 郭有守, Docteur
M.C. 8682

 款識:連雨響寒夕,木葉有興音。華冶凝清光,殘荷辭翠禽。中庭遽已靜,微風揚素襟。白卉變秋節,蟋蟀林下鳴。雝雝南飛雁,寄寄江水心。文衡山有此圖,山居無事偶師其意并錄舊作秋日山居詩。丁亥六月,西山逸士溥儒畫於湖上并識。
印:1.舊王孫(朱文) 2.溥儒(白文) 3.松巢客(朱文)

またの名、溥心畬(プーシーシュア)で有名な溥儒(プールー)は清の皇族の家系の出だ。 19世紀末に重要な政治的役割を果たした愛新覚羅奕訢 (1833-1898)の子孫で、最後の皇帝、溥儀 (1906-1967)とは従兄弟である。若いころに満州貴族に与えられる文人教育を受けた。清帝国崩壊後は、20年代の初めまで、北京近郊の戒臺寺で隠居生活を営む。絵画に打ち込もうと企てたのはこの頃からである。書道の実践と古い絵画に親しんでいたことが溥儒(プールー)のスタイルの形成に重要な役を果たす。彼はすぐに認められ、30年代北京の芸術シーンにおける最も重要な画家の1人となる。戦争中は北京に留まったが、1946年に杭州に引っ越す。1949年には台湾に落ち着き、そこで黃君璧(ホアンヂュンピー)と並び、伝統的中国絵画を最も代表する1人と目されるようになる。
この風景画は溥儒(プールー)の過去との関係を典型的に示している。南宋の巨匠たちと平行して、呉派の画家たちが彼の着想の源だった。彼はそうした先人の作品を蒐集し、自分の作品のなかで彼らのスタイルを参照した。この作品においても、詩によるオマージュという形で文徴明(ぶんちょうめい/ウェンヂェンミン)を参照している。絵画的には、大きな木々が文徴明の作品の名残と考えられるが、反対に小さな点々で描かれた略画風の山は、溥心畬(プーシーシュア)がもともとよくつかう絵画言語である。

Reference(s) : ボボ 1985年, n°43
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