Préface au Pavillon des Orchidées

Shen, Yinmo 沈尹默, né en 1883, décédé en 1971

Entre 1945
Papier, Encre
Calligraphie
H. 106.9 x l. 33.7 cm
尹默; 竹谿沈氏
Don manuel : Guo, Youshou 郭有守, Docteur
M.C. 8657

 款識:
永和九年歳在癸丑暮春之初會于會稽山陰
之蘭亭脩禊事也群賢畢至少長咸集此地有
崇山峻領茂林脩竹又有清流激湍暎帶左右
引以爲流觴曲水列坐其次雖無絲竹管弦之
盛一觴一詠亦足以暢叙幽情是日也天朗氣
淸惠風和暢仰觀宇宙之大俯察品類之盛所
以遊目騁懷足以極視聽之娯信可樂也夫人
之相與俯仰一世或取諸懷抱悟言一室之内
或因寄所託放浪形骸之外雖趣舎萬殊靜躁
不同當其欣於所遇蹔得於己怏然自足不知
老之將至及其所之既惓情隨事遷感慨係之
矣向之所欣俛仰之閒以爲陳迹猶不能不以
之興懷況脩短隨化終期於盡古人云死生亦
大矣豈不痛哉毎攬昔人興感之由若合一契
未甞不臨文嗟悼不能喩之於懷固知一死生
爲虚誕齊彭殤爲妄作後之視今亦由今之視
昔悲夫故列叙時人録其所述雖世殊事異所
以興懷其致一也後之攬者亦將有感於斯文

王羲之(ワンシーチー)の『蘭亭序』の褚 遂良(チュースイリアン)による臨書 
沈尹默(チェンイーモウ)は陝西省安康生まれだが、浙江省湖州の家庭の出身だ。 彼の世代の知識階級の多くのように日本に留学し190年3から1906年の2年間を過ごした。陳 独秀 (チェンドゥーシオウ 1880-1942)との出会いが彼の政治的姿勢を決定する。沈尹默は北京大学で文学を教えていたが、陳独秀が創刊した『新青年』の寄稿者となる。1932年に上海に住み始めたころ、彼の書の評判はすでに確立していた。戦争の間、彼は重慶に疎開する。1949年以後、沈尹默は、当時上海市長だった陳 毅 (チェンイー1901-1972)のもとで文化行政において重要な地位を占めた。
沈尹默による王羲之の『蘭亭序』は彼の代表作である。およそ1世紀の間、碑学派が書道に強大な影響を振るっていた。20世紀初頭、 康有為(カンヨーウェイ)のような影響力ある書家もまだこの大きくこの傾向の下にあった。このようななかで、 褚 遂良による王羲之以来の伝統への回帰は断絶を意味している。王羲之のみならず、褚 遂良のような唐の書、黄 庭堅(フアンティンチエン)や米芾(ミーフェイ)のような宋の書家に依拠して、 沈尹默は一種の古典主義を再建した。

Reference(s) : マリー=テレーズ・ボボ, 『チェルヌスキ美術館 : 現代中国書画コレクション』チェルヌスキ美術館コレクション, アランソン, アランソン印刷 1985年
 
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