19世紀と20世紀のチェルヌスキ美術館 施設: 昨日の美術館、今日の美術館

チェルヌスキ美術館は140年近くに及ぶアジア美術発見の遺産であり、アジア美術への西洋の眼差しの変遷が記されています。アンリ・チェルヌスキによってアジアから持ち帰られた蒐集品は、印象派の画家たちが日本の浮世絵に夢中になった時代に集められたものでもあり、ベラスケス大通りの館は、1876年から1896年にかけてジャポニスムの拠点のひとつになります。

チェルヌスキ美術館は1898年に公開されると、すぐに中国と日本の様々な美術の展覧会が開催される場所となりました。

1910年から1946年にかけて、中国とヴェトナムにおける重要な考古学的発見によってチェルヌスキ美術館に新側面が加わりました。以後、チェルヌスキ美術館は極東文化の揺籃の地である古代中国美術を特権的に扱うことになったのです。

1946年からは、チェルヌスキ美術館は、日本の書道や現代中国絵画のようなアジアの生活美術に大きく門を開きました。1950年代から1990年代にかけて、チェルヌスキ美術館は、この領域での美術品取得と展覧会を活発に行う方針を取り、ヨーロッパ最大のコレクションのひとつを形成するに至りました。

1980年代に中国は開放政策を取りましたが、その影響で中国の主要美術館も国際的に開き始めました。このときから20年にわたってチェルヌスキ美術館は、中国からの大きな展覧会を積極的に受け入れ、パリの人々に上海美術館の青銅作品や青磁の発祥地や山東省の仏像を発見する機会を提供しました。

そして、チェルヌスキ美術館を改修したことで、古い蒐集品や新しい蒐集品が高く評価され、また美術館のイメージもアップしました。エコール・ド・パリの中国人芸術家たちを扱った数々の展覧会が国際的に評価されたことで、チェルヌスキ美術館とパリで過去また現在活躍するアジア人芸術家との関係が緊密に深められました。

歴代美術館館長

ウージェーヌ=ブノワ・コッスは、
アンリ・チェルヌスキの秘書で、1898年開館時の初代館長を務めました。

アンリ・ダルデンヌ・ド・ティザック(1877〜1932)が1905年にコッスを引き継ぎ、1913年の仏教美術展など、数々の歴史的重要性を持つ展覧会を行うように美術館を変えました。彼は、エドゥアール・シャヴァンヌ(1865〜1918)やポール・ペイヨ(1878〜1945)のような当時の中国学の碩学たちと密接な関係を持ち、美術館を中国古代美術と考古学に特化させます。

30年近くにわたり、ティザックは沢山の作品を取得するとともに個人蒐集家からまとまった寄贈を受けます。彼は積極的に展覧会を開く方針で、1922年にはチェルヌスキ美術館友の会を作ります。友の会の寄贈品は1925年の東漢(25〜220年)(MC6862)の 巨大まぐさ石に始まり、無償贈与のリストが今日まで途絶えることなく続いています。

1933年4月に、ティザックの後を引き継いだのは、アジア史家で1925年以来、ギメ美術館の副学芸長を務めていたルネ・グルセ(1885〜1952)です。グルセは建物の二階の大改修(1934〜1935)を行い、青銅時代(ドンソン文化)のヴェトナムの考古学的作品のコレクションを充実させました。その大部分は、1934年と1936年にスウェーデン人考古学者オロフ・ヤンセにより行われた発掘に由来するものです。1944年から1952年まで、彼はギメ美術館とチェルヌスキ美術館の両方の館長を務め、チェルヌスキ美術館に彼の名を冠した大きな図書室を残しました。1946年から亡くなるまで、彼はアカデミー・フランセーズに席を占めました。

Photo d'archive de la salle du Bouddha

日本学者セルジュ・エリセーエフの息子、ヴァディム・エリセーエフ(1918〜2002)が、ルネ・グルセを継いで30年間(1952〜1982)、館長を務めます。彼の在任中には、建物の一階の改修が行われ、その後、常設展の展示室となります。エリセーエフは、ルネ・グルッセにより先鞭をつけられた活動を引き継ぎ、大きな展覧会を通じて、同時代のアジア美術にチェルヌスキ美術館の門戸を大きく開きます。美術館の所蔵作品は、マリー=マドレーヌ・ワニークのコレクションや郭有守博士の中国近代絵画コレクションのような個人蒐集家の寄贈によって豊かになり、大幅に変わります。以来、途絶えることなく新たな作品を加え、現在ではヨーロッパ有数の充実したコレクションとなっています。

マリー=テレーズ・ボボ(1929〜2011)は、1982年から1994年まで美術館のトップに就き、先任者の美術品取得方針を受け継いで、考古学的作品を中心に、20世紀の中国絵画も蒐集しました。中国絵画に関して開催した数多くの展覧会を通じ、彼女はパリの公衆に吴作人や吴冠中の作品を紹介しました。中国の葬送用彫像および20世紀前半の中国絵画の専門家として知られた彼女は、女性芸術家の作品にも特別な関心を寄せました。

ジル・ベガン(1946〜)は、23年間、国立のアジア美術館であるギメ美術館のネパール・チベット美術部門の責任者を務めた後、1994年から2011年まで、チェルヌスキ美術館の館長を務めました。ベガンは、ヒマラヤ美術、仏教美術について、またチェルヌスキ美術館の蒐集品について、アジア美術の複数の領域にまたがって数々の著作を発表しています。

ベガンの指揮で、美術館の建物は大幅に改修され、展示スペースは拡張され、近代的な舞台空間のように設備されました。極東と中央アジアの美術に関する国際的文化財の展覧会は、パリの人々に、最近の重要な考古学的発見を知らしめました。友の会および国内外の蒐集家たちのネットワークのおかげで、チェルヌスキ美術館は重要な作品の数々を取得することができました。

クリスティーヌ・清水(1950〜)は、2011年から2015年まで、ギメ国立アジア美術館の日本コレクション担当キュレーターとしてキャリアを積み、セーヴル国立陶器美術館のアジア・コレクション課長を務めた後、チェルヌスキ美術館の館長となりました。日本美術の専門家として国際的に知られ、大学における講義や講演を通じて、その知見を広めました。彼女は多くの著作をあらわし、フランスにおいてもまた外国においても数多くの展覧会のコミッショナーを務めました。

シミズは自ら鑑定して、20世紀の日本陶器を数多く購入し、また寄贈を受けました。

エリック・ルフェーヴルが2015年6月1日にクリスティーヌ・シミズの後継となりました。チェルヌスキ美術館で10年間、中国コレクションのキュレーターを務めた後、エリック・ルフェーヴルは2013年にギメ美術館に移りました。彼はまた、パリのソルボンヌ大学とエコール・ド・ルーブルで中国美術を教え、数多くのフランス内外における中国美術、なかでも特に絵画を扱った展覧会のコミッショナーを務めました。