Jarre bu 瓿

Entre -206 et 220
Grès, Céramique tournée, Glaçure = Couverte
Vaisselle et ustensile de cuisine, Jarre
Achat

M.C. 8993

瓿(ほう)という盛酒・盛水器は、西漢の後半から東漢の滅亡までの間、中国東部で広く陶器として作られた丸い器である。
釉薬をかけた陶器の製造は商(紀元前1765-1122年)まで遡る。周(紀元前1122-256年)王朝を通じて、黄河流域から長江の谷に伝播した。長江の下流は戦国時代(紀元前453-222年)に主な生産地となった。
チェルヌスキ美術館の瓿(ほう)は、紀元前1世紀から紀元後1世紀前半までの期間によくあったたタイプに属する。胴の膨らみは球形で、顔面像の刻まれた耳を持ち、その上には形の整った装飾がある。胴の上部は浮き上がった3本の縄で強調されている。縄は凹部にが挟まっている。口の縁は平坦である。挟み込まれた装飾は2本の文様帯で、同時代の青銅器の装飾によく似た飛ぶ鳥を描いている。
瓿(ほう)M.C.8993の上部は緑色の釉薬がかかっている。このコーティングは器の上に灰(あるいは粘土と灰の混合物)をかけて得たものだろう。焼成の間に、木の灰が銅に含まれた粘土と反応して、カルシウムの釉薬を作り出す。ガラスは陶石がベースだが、まだ使い方が合理的でなく他のものと混ぜて使っているので、磁器製造に適したグレを得ることはできない。
たぶん、始めは埋葬と儀式用に限られていた瓿(ほう)がその後、日用として使われるようになったのだろう。

Reference(s) : 蓑豊(みのゆたか),キャサリン・R・トサイアン,『氷と緑の雲:中国青磁の伝統』 インディアナポリス,インディアナポリス美術館,ブルーミントン,インディアナ大学出版会,1986年
ミシェル・ピラゾリ=ツセルステヴァン 「造型効率から生産性へ: 3-4世紀の江南の磁器に適したグレ」,通報,1998年,84巻,1-3分冊,p.21-61
キャサリン・R・トサイアン「漢王朝の釉薬を塗った炻器 第一部: 東のグループ」 Artibus Asiae, 1978, 40巻 2-3番p,143-176
ニージェル・ウッド,『中国の釉薬: その出処,化学,再現』,ロンドン,A & C Black,フィラデルフィア,ペンシルヴァニア大学出版,2011