Tempête

Fu, Baoshi 傅抱石, né en 1904, décédé en 1965

En 1944
Papier, Encre, Couleurs - Pigments
Peinture
傅抱石; 傅; 抱石大利; 造化小兒多事
Don manuel : Guo, Youshou 郭有守, Docteur

M.C. 8662

 款識:甲申八月廿六日,余四十生辰次女益璇甫墜地二日也。重慶西郊記,新喻傅抱石。

 印:1.傅(朱文) 2.抱石大利(白文) 3.造化小兒多事(白文) 

傅抱石(フーバオシー)は江西省南昌に生まれた。景徳鎮で短い間、陶工になる教育を受けた後、中学に入る。ほとんど独学で絵を学び、1925年に初めて抱石の名の絵を世に出す。若いころの絵画の追及は歴史的な関心が色濃い。初期に発表した中国絵画の歴史に関する論考が、徐悲鴻(シュベイホン)の支持を得、1933年から1936年に日本で学ぶ可能性を彼にもたらした。この期間、彼の探求は顧愷之(こがいし/グーカイヂー)と 石濤(せきとう/シータオ)の絵が対象だった。歴史に関する仕事と翻訳の他に、1934年に東京で初めての大きな展覧会を開く。戦争の始まる直前に中国に戻り、江西省の生まれ故郷に滞在した後、 重慶(チョンチン)に避難し、そこに1939年から1945年まで留まる。この時期に、絵の創造が徐徐に学問的探求より優位に立つようになる。1942年に重慶で開催された大きな展覧会には彼独自のスタイルと特に好む文学的テーマが現れている。 1946年、彼は1940年から所属していた南京の中央大学南京が再建されたので教え始める。 1949年の革命の後、毛沢東(1893-1976)の作品からとった詩的テーマについていくつか絵を描く。 1959年の人民議会のためのモニュメント絵画も毛沢東主席の詩に着想したもので、毛沢東路線の象徴となっている。晩年は、の作品は毛沢東がルーマニアとチェコを1957年に訪れたときのように、毛についての絵画が数多い。
嵐の風景を描いた作品は、戦争の時代にあった創造性を証明している。 1942年の展覧会への序文で、傅抱石は四川の風景に特別魅了されたと言っている。自然の壮大な性格はまず、 前景は濃く、後景は薄く、さまざまなトーンで墨の塗られた大き海岸で示される。ごつごつした岸壁の表面は墨をわずかしか含まない筆で効果を出している。長く投げた水に墨を跳ね返らせて雨を表現するのは、傅抱石が行った主な技術革新のひとつである。峡谷の奥に垣間見える船の帆は、山の頂点に壊れそうに引っかかって、自然を前にした無力さを表している。

Reference(s) : 書誌 ボボ 1985年, n°108, ベガン 2000年, p.170-171, ルフェーヴル 2008年, p.192-193