Paysage

Li, Liufang 李流芳, né en 1575 à Shanghai, décédé en 1629 à Changshu

En 1614
Papier, Encre
Peinture
李流芳; 李流芳印; 爾疋; 爾; 雅
Achat

M.C. 2007-7

銘 :
A 李流芳 (1575- 1629)
甲寅 (1614)、春、李流芳
B 鄧爾雅 (1884- 1954)
この扇では、筆致は古代的な無駄のなさ、墨は黄金のように節約されている。文人魂が発散し、作品は神々しい域に達している。爾雅

李流芳(リーリューファン)は、画家としても詩人としても知られている。人生の初期には、官職を志し、1606年に挙人(きょじん / ジューレン)のランクに到達する。が、続く貢士の試験に何度も失敗し、1622年、官吏の夢を諦めて生まれ故郷の嘉定に帰る。彼の詩は1629年に、晩年を過ごした住居の名を冠した『檀園集』にまとめられて出版された。
自ら隠遁生活に入るよりも10数年も前の作品が、すでに私的なスタイルで、その虚飾を廃した特徴は、倪瓚(ニザン 1301-1374)の影響と言われることが多い。元の大家のとは非常に異なる絵画技術だが、そういう印象は感じられる。チェルヌスキ美術館の扇の場合は、つながらない小さなタッチが景色をかいま見させるが、その形は崩壊スレスレである。このような筆の技巧はとりわけ柳の葉叢を描くときに適しており、それを全体の構成の中心におくのは李流芳だとサインするようなものである。この絵は南京博物院に所蔵されている1620年製作の扇と良く似ていて、その前触れとなるものである。南京博物院の扇の方が筆致がよりはっきりしている。
署名の右に、書家で蒐集家でもあった鄧爾雅 (テンエリヤ 1884-1954)によって書かれた刊記があり、この画家が驚くほど省略した方法で描いていることを強調し、最後にこの扇を最高ランク「神品」に位置づけている。

Reference(s) : エリック・ルフェーヴル,「チェルヌスキ美術館の活動」Arts Asiatiques (アジア芸術), 2008年,
フランソワ・ルービ, 「ジュネーヴ, 極東美術館」コレクション バウアー, 56号 1993年秋冬, p.7-50