Vase xizun 犧尊 en forme de tapir

Anonyme

206
Bronze, Fonte à la cire perdue, Incrustation
Vase
Legs : Cernuschi, Henri
M.C. 583

このような器は今日では貘尊 (獏の形、あるいは獏の付いた尊)と呼ばれるが、元の名は犧尊といって、博古図や西清古鑑  (清朝内府蔵の古銅器の形態を模し、銘に釈文を付した図録)にはこの呼称で現れる。犠の字は「犠牲」を意味し、牛を指すことが多く、他の動物を指すこともある。獏の形の器の元になったモデルは、戦国時代のもので、宝石をはめ込んだ装飾がついている。
今日では、4種類の獏が存在することが分かっており、そのうち3種類は南アメリカ、1種類はマレーシアに生息している。東周の時代の中国では、獏は野生動物か遠くから連れて来られたものだっただろうが、少なくとも捕らえられて観察することができたのだろう。
宋や元のものは中国で見られるが、象眼装飾はない。浙江省の湖州で宋時代の一対が発見された(台北、故宮博物院)。他にも1つ見つかって、牛の形の器と結びつけられている。これらはすべて、今日、元の時代のものとされる作品とは違っている。 『三禮圖』のなかで、戱尊は牛か鳥を具現化した形の器と説明されている。『考古図』の中にも獏の形の器の例はない。『博古図』には2つ例が上がっている。『 大明集礼』 (1529)には、この食器について複製とともに言及がある。したがって、イコノグラフィーはだんだんと出来たのであろう。
これらの器は、様式や技術が大きく違い、考古学者たちが発見するこの種の作品が互いに似ていないにもかかわらず、すべて、元 (1271-1368)のものとされる。ただひとつ、ある作品について確かな年代付けを提案しているのが、シドニー・L・モスだ。 ウルリッヒ・オスマンがこれらの青銅器と胡文明のものとされる青銅器との類似について指摘しているのを引いて、モスは、我々がここに提示するものとかなり近い作品を、明末期のものと考えたいとしている。実際、知られている器のほとんどはーチェルヌスキ・コレクションにも5、6あるー最も古くて明末期、むしろ清のものである。外観はかなり異なるが、犠尊で背の低いところと尾の上にかなり似た模様を持っているものがあり、これに与えられた年代は16世紀末か17世紀初めである(セントルイス、セントルイス美術館とロバート・E・クレスコ コレクション)。

Reference(s) : 『 文藝紹興 – 南宋藝術興文化 . 器物券』 国立故宮博物院展覧会カタログ, 台北, 国立故宮博物院, 2010

張昌 , 『元賽因亦答忍墓的发现』 , 文物 , 1996, n°2, p. 22-33

新定三礼図 「三礼図」, 聶崇義 , 962, 出版年未詳 推定1676年.

ウルリッヒ・オスマン, 「後期中国青銅器」 in シドニー・L・モス, 『スカラーズ・テイスト. 中国美術ドキュメンタリー』, ロンドン, シドニー・L・モス, 1983年

フィリップ・K・フ, 『後期中国青銅器』展覧会カタログ, セントルイス: セントルイス美術館とロバート・E・クレスコ コレクション, 2008年
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