Cheval
Entre 618 et 907
Bois (matériau), Polychromie
Statue
Achat
Bois (matériau), Polychromie
Statue
Achat
M.C. 9838
唐の皇帝たちは軍馬の種馬牧場を育てるのに大きな関心を払っていた。唐朝のはじめにはおよそ5000頭だった馬が、7世紀中頃には70万頭にまでなったと考えられる。フェルガナに種馬を探しに行くためシルクロードの隊商専用路を押さえようとして、唐は、西漢(紀元前206年-紀元後9年)がその時代にとっていた中央アジアへの膨張政策を再び取ろうとした。そのため、太宗皇帝(627-649年)はタリム流域の小さな国をすべて征服せよという命令を出したのである。
チェルヌスキ美術館の注目すべき作品の由来は分かっていない。メタセコイアで作られ、無為の木のようなトウヒではないが、保存状態がすばらしいことから、この2つの作品は、唐の西進の途上、甘粛省から来たものと考えられる。この土地は空気がとても乾いていて、保存に良いのである。
馬の表現に現代の陶芸作品をもしのぐ尋常でない緊迫した力があるが、馬丁の方はよく知られた「蛮族の」使用人というモデルに入る。巻き髪でカフタンを着け、その垂れのひとつが脇に残っている。
馬は1990年の骨董ビエンナーレで取得された。このビエンナーレは、パリの美術市場を援助しようとした当時パリ市長だったジャック・シラク大統領の肝いりで行われた。
Reference(s) : ジル・ベガン,『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.104-105。
マリー=テレーズ・ボボ,『既知と未知の中国』,パリ,Paris-Musées(パリミュゼ),1992,p.140-141。
ジル・ベガン,『墓のなかの小さい人々』 Paris-Musées(パリミュゼ),2010, p.58。
マリー=テレーズ・ボボ,『既知と未知の中国』,パリ,Paris-Musées(パリミュゼ),1992,p.140-141。
ジル・ベガン,『墓のなかの小さい人々』 Paris-Musées(パリミュゼ),2010, p.58。