Jarre

Entre 600 et 900
Grès
Jarre
Sépulture Tang n°1, site de Đông Sơn, Thanh Hóa
Don fouilles : Mission Janse Indochine (1934-1935)

M.C. 8020 B

この甕は、1935年にオロフ・ヤンセによって、ドンソン村で唐時代の墓所をいくつか発掘したときに出土したものである。長方形に並べられた煉瓦で作られた第1号墓の外に置かれていた。同じ遺跡で見つかった交趾時代の墓と異なり、安南時代の墓は非常に狭く、死者の体がちょうど入る幅しかない。死体はおそらく屍衣にくるまれただけだったと思われる。第1号墓は長さ2,38メートル、はば70センチメートルである。この甕を含む三つの甕が煉瓦の構造物の外に、東側の小さな壁に並べられていた。
何世紀もたつうちには土壌が動いて圧迫を加えたため、甕は発見されたときには壊れていて、発掘の跡で修復されたケースが多い。これらの甕は死者の魂に捧げられた酒を盛ってあったのだろう。
この甕は、肩に蓮の花びらの装飾が刻まれているところが他の甕と違っている。
土が含む酸のため、かつては全体にかけられていたはずの釉薬を損傷し、釉薬ははがれ、ぼろぼろになっている。とはいえ、装飾によるくぼみや耳の下のところなどにいくらか跡が残っている。だからこの甕は光沢のある緑のオリーブ色の釉薬と細かい貫入があったと想像しなければならない。蓮の花びらの装飾は仏教の重要性を証明している。仏教の象徴である蓮の花が、その時代の陶器にまで刻まれるようになり始めたのだ。11世紀以降は、蓮の模様はどこにでも顔を出すようになる。
インドを起源とする仏教は2世紀ごろにベトナム北部の港町に伝わった。インド南部とインドシナ半島を行き来する商人が使った海洋ルートを辿ったのだ。それと平行して漢の終りから唐の終りにかけた時代、中国で仏教が大きく発展する。そこに安南の保護領も加わったのである。仏教は10世紀以降、独立とともにベトナムの国教となる。