Jarre

Entre 618 et 907
Grès, Céramique tournée, Glaçure = Couverte, Céladon, Décor peint sous couverte
Vaisselle et ustensile de cuisine, Jarre
Achat

M.C. 9795

この頑健な仕上げの甕は、強くゆがんでくぼんだ土台の上に立っている。見込みはほとんど円筒形で、縦の溝によって4つに分かれている。肩の高さで丸くなり、その上には2つの水平な耳がつけられている。太くて目立つ首は広くなった開口部で終わっている。この形は唐の半ばごろの特徴である。植物性の灰をベースにした釉薬は透明である。細かい貫入の編み目が全体に走り、釉薬の青緑の光沢が、厚みを増すと濃緑色になる。甕の内側とベースの周辺部分は釉薬がかかっていない。素地は明るい赤茶のグレである。気泡による膨らみとその破裂した跡が数多く、素地の下ごしらえが不十分で石英と鉄の不純物が含まれていたことを証している。その色と素地の質からして、少し前の時代(618-806)のものと思われる。
釉薬の下に彩色された装飾がほどこされており、それは青と茶の、二重の点線が肩を飾り、腹にも同色の植物が絡み合う模様がある。空色のタッチは不透明で、白い縁取りがあることが多く、茶色の方は半透明である。長沙の炻器は、実際に使う道具として作られたものだが、非常に刷新的な陶器である。六朝時代(222-589年)に実験的された彩色した装飾の上に茶色い釉薬をかける方法を一般化したのがこの長沙の炻器で、装飾的な効果を得るために液体状の釉薬の複数の段階を利用した最初のものである。熱が冷めて行くときに、釉薬は微小のガラスの玉を含んで不均質になり、そこに光が反射して、特別な空色をもたらすのである。長沙の陶工がどうやってこの効果を出すことを思いついたのかは分かっていない。
長沙の炻器は国内市場に広く流布し、江蘇省、揚州(ヤンチョウ)の港から輸出されて大きな成功を収めた。

Reference(s) : ジル・ベガン,『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年  p.118-119。
マリー=テレーズ・ボボ,『既知と未知の中国:チェルヌスキ美術館,10年間の蒐集』,パリ,Paris-Musées(パリミュゼ),1992 p.48。