Brûle-parfum

Anonyme

Entre 1736 et 1796
Bronze, Dorure, Email cloisonné
Objet religieux, Brûle-parfum
Donation sous réserve d'usufruit : Brunau, Simone

M.C. 9933 A

宋朝 (960-1279以後、「考古図」のような木版の挿画のついた歴史書のおかげで、教養のある人々は、河南や陝西で発見された考古学的遺跡をよく知るようになった。 元 (1279-1368)の時代には、さまざまな信仰の祭壇に、古代青銅器をモデルにした形の一連の器を置く習慣が広まった。 明 (1368-1644) と清 (1644-1911)のもとでは一式は必ず、5つの器で構成されるようになった。古代の器、ちょうどここでのように三脚のもの(鼎)の形を模した香炉を中心に、燭台2本、円錐形で開口部の開いた花瓶2つ、花瓶は商の時代 (紀元前1550-1050年頃).の献酒のためのの杯(觚)の形というバリエーションもある。ここに展示した一式は、最後のものがない。本来の形の良いレイは、北京近くの潭柘寺の大雄宝殿で撮影された古い写真にある。全部揃った一式がウルドリー コレクションにある。装飾の形から、これらは乾隆帝時代(1736-1796に豊富に生産されたものに入ると思われる。

Reference(s) : ジル・ベガン,「チェルヌスキ美術館の活動」Arts Asiatiques (アジア芸術),1997年 52号 p.134
ヘルムート・ブリンカー, アルバート・ルッツ, 『中国七宝: ピエール・ウルドリー コレクション』ニューヨーク, アジアソサエティ・ギャラリー, 1989, p.53, 図版29, 267番
ジル・ベガン(監修)『チェルヌスキ美術館,1993-2004の中国美術取得作品』Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2005, p.138