Deux oiseaux verts sur un magnolia

Yu, Feian 于非闇, né en 1889 à Pékin (Beijing), décédé en 1959 à Pékin (Beijing)

En 1947
Papier, Encre, Couleurs - Pigments
Peinture
非闇; 非厂居士; 于照之印
Don manuel : Guo, Youshou 郭有守, Docteur

M.C. 8730

款識 :  丁亥閏月假寓飬雲軒樂夀堂玉蘭辛夷怒放,因憶予友林君滬濵園林有二喬一本玉蘭辛夷萃興一樹非接木蓋異品也。爰製此圖聊以誌異,海棠耀目丁香滿庭。非闇并記。

翻訳 :  丁亥年(1947)の閏月、私は寓飬雲軒に滞在した。樂夀堂の前に辛夷が花盛りだった。私は友人の林君がその庭に一本の辛夷の木を持っていたことを思い出した。その木は2本の幹が1つの株から出ていて、接ぎ木したものでもなかった。それは驚異的なものだった。そこで私はこの絵を描き、この不思議を捉えておきたいと思った。野生の林檎の木が目を眩ませ、リラの香りが庭に満ちる。非闇が記す。

印 :  1. 非厂居士 (朱文)  2. 于照之印
于非闇(ユーフェイアン)の名で知られる于照(ユージャオ)は北京生まれ。若い頃、人気の芸術家でジャーナリストでも教授でもあった王润暄(ワングウェンシェン)に絵を学んだ彼は、2つの大戦の間の時代、北京の様々な学校で絵と書を教えた。 1935年から、彼は紫禁城展覧会局で働く。そこで古い絵の研究を企て、1931年に公開された新しい美術館のコレクションに収蔵された巨匠の作品の模写を行う。この古い絵との接触が彼の作品の決定的な展開点に一致する。1935年から、彼は 丁寧な工毛画スタイルの花鳥画だけを描くようになる。1936年の最初の個展に続いて、彼はたちまちこのジャンルにおける巨匠として認められる。1949年より後、彼は中国画研究協会と北京絵画アカデミーで重要な地位に就く。
于非闇(ユーフェイアン)の意見では、彼の花鳥画の領域での研究は3つの主な時期に分かれる。最初の時期は古いモデル、特に宋と元の巨匠および陳 洪綬(チェンホンショウ)の影響が強い。次の時期には、彼の関心が宋の毅宗帝の絵と彼が考案した書のスタイル、「痩金体」のみに集まる。. 最後に、自然を直接研究した時期。それそれは経験的なアプローチによって彼自身のした歴史研究を補った。彼の文章、特に中国絵画における色彩についてのものは、庶民画の伝統に関する深い知識をうかがわせる。
辛夷の上の2羽の緑の鳥を描いたこの作品は、于非闇の爛熟期の作品である。古画の影響は構図に露わであるが、それを超えて、この作品は花盛りの木を直接、観察した結果である。款識の文言がこの画家の植物学への関心を洩らしている。対照的な色を使い、非常に細かいニュアンスを描き分け、画家が深く色彩を研究したことが認められる。

Reference(s) : マリー=テレーズ・ボボ, 『チェルヌスキ美術館 : 現代中国書画コレクション』チェルヌスキ美術館コレクション, アランソン, アランソン印刷 1985年