Personnage

Entre -2100 et -1700
Jade (néphrite)
Objet symbolique
Don manuel : Daridan, Jean

M.C. 8409

翡翠の小さな渋面像で複雑な髪型をしたものは、龍山文化(紀元前2000-1500年)のころから現れる。丸い隆起や、ここでのように一枚の板に並ぶ形で、立っていたり踞っていたりする人物像も、比較的数は少ないが商の時代(紀元前1500-1050年ごろ)に見られる。
チェルヌスキ美術館所蔵の作品について言えば、像は刻まれた二本の平行線にかこまれている。この特性は1976年に殷墟、安陽(河南)の遺跡、第五王墓、武丁(ぶてい)王の妃、婦好(ふこう)の墓所で発見された翡翠にも見られるものだ。墓所は紀元前13世紀末のものである。安陽にある他の商墓からもこの翡翠に良く似たものが2つ発見された。侯家荘からは小さな人物像、小屯村からは頭に羽を立てた横顔である。
多少とも渋面を作っているこれらの像のイコノグラフィーはまだ謎のままだ。丸い隆起の上の翡翠の小人物像は西周の時代まで作られ続ける。
ドリス・J・ドーレンウェンドは、ワシントンのフリーア美術館に保存されている、跪いた人物像を記した矛槍の先と比較して、チェルヌスキ美術館のこの人物を記した板が、戦国時代(紀元前481-221年)の特徴をもった作品であると思っている。

Reference(s) : ジル・ベガン『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.32