Vase pou

Anonyme

En -1200
Bronze, Fonte, Fonte au moule
Vaisselle et ustensile de cuisine, Vase, Objet religieux
Achat

M.C. 8760

銘;
南宋(960-1227年)の文人たちは、輪になった土台の上に載った幅広でどっしりした首の締まった古代の器を瓿(ほう)と呼んだ。もともとは必ず蓋がついていたが今日まで残っているものは非常に少ない。専門家によって、固形の食物を入れた容器として分類する者と発酵させた飲料を入れた容器に分類する者がある。形は新石器時代の陶器のいくつかの形を踏襲している。
チェルヌスキ美術館の瓿(ほう)は、肩の上に3つの羊面がはっきり浮き出し、胴と脚の上には軽い稜線がある。これらが、大きな夔(キ)龍を平面に描いた三本の広い文様帯とコントラストを成している。文様帯はそれ自体、四角い渦巻きの背景からは浮き上がっている。龍たちは互いに少しずつ異なっている。胴の膨らみ部分と脚には、龍たちが向かい合わせになって飛び出した目の饕餮(とうてつ)の顔面像を作っている。どれもマックス・レールの定義による第4型に入る。チェルヌスキ美術館のものと類似した瓿(ほう)はたくさんある。ヴァディム・エリセエフがリストを作っているが、特にクリーヴランド美術館とボストン陶芸美術館のものが有名だ。チューリヒのリートベルグ美術館、ワシントンのアルチュール・M・ザッカー基金のにもある。
ここでコメントする作品は、碑銘の二字が東京の根美術館の方罍(ファンレイ)と同じである。R・バグレーは、この二つは同じ者の注文で作られたと考えている。根津美術館の罍(レイ)は、安陽の第五墳墓で発見された一対の方罍(ファンレイ)にそっくりである。安陽の第五墳墓は、安陽の二代目の王だったと考えられる武丁(ぶてい)(紀元前13世紀-? )の治世の終りのものと時代推定するのが普通だ。が、これはチェルヌスキ美術館の瓿(ほう)のスタイルにはあてはまらない。チェルヌスキ美術館の瓿(ほう)のスタイルは安陽(紀元前12世紀-11世紀前半)の最後期のものなのだ。同様に、灰色に近い明るい緑の緑賞の青銅器は、ふつう、中国の南部のものとされる。

Reference(s) : ロバート・W・バグレイ,『ア—サー・M・サックラー・コレクションの商の祭儀青銅器』,ワシントンDC,アーサー・M・サックラー基金/ケンブリッジ(マサチューセッツ州),アーサー・M・サックラー美術館,ハーバード大学,p.336
ジル・ベガン,『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.34-35。
ヴァディム・エリセエフ 『チェルヌスキ美術館の中国古代青銅器』,第1巻,第1部,第23番,パリ,アジアテーク社,1977年,p.33。