Gardien de tombe

Anonyme

Entre 265 et 420
Terre cuite, Moulage
Statuette, Mingqi
Don manuel : Société des Amis du musée Cernuschi

M.C. 7600

東漢の時代(25-220年)、墓に置かれた小人物像のなかに、戦士が1体混じっている。振り上げた腕には槍を持っていたが、槍は朽ちる素材でできていたのだろう。この戦士は、魂の住処を不吉な影響から守るために悪魔払いの儀式に提供されたのだ。西晋(265-316年)の時代には、その顔は恐ろしい表情になる。儀式のときに仮面を被ったためではないだろうか。
この守護者は、背に角をはやした怪物に結びつけられ、少しずつ重要性を増して行く。この墓守(鎮墓用)は軍人と官吏に分裂していく。同じように、2つの想像上の生き物、「鎮墓獣」が彼らの供をするようになる。北齊(ほくせい)(557-577年)の時代に、墓の入口に、軍人2人、官吏2人、そして地の精と考えられる墓守の幻獣2匹の6体の像が置かれるようになる。随(581-618年)の時代からは、4人の士官が仏教世界の四方(四天王天)を守る四天王と合体し、4つの方角(方向)または4つの天界の守護者(天王)と考えられた。た。
チェルヌスキ美術館の小人物像は3世紀と4世紀にできたもので例外的である。晋時代の方相氏は戯画的なまでに様式化しているが、この時代になると、もっと自然な優しい笑顔をしている。鎧は袖を通させる。着物の下部は広い上着の裾でできて、ズボンを保護している。
 

Reference(s) : ジル・ベガン,『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.87。