Cheval

Anonyme

Entre 618 et 907
Terre cuite, Moulage, Couleurs - Pigments
Statuette, Mingqi
Achat en vente publique

M.C. 6043

中国の墓には馬のイコノグラフィーが非常に多い、このことは貴族たちが牧場と馬術をたいへん重要視していたことを証明している。唐太宗の墓(650年)を飾る6人の競争者が高浮彫りになった石の彫刻は、そのようなものの傑作である(現在は西安美術館とフィラデルフィア大学美術館に分散している)。漢の時代の放牧の馬も、魏の時代の馬具をつけた馬も、唐の時代の調教された馬も、陶工たちはポーズや種別や表情に工夫を凝らした。モンゴル種の小さいが馬力があり、短い脚をした馬は三国時代と六朝時代に人気があったが、唐の時代にはフェルガナから輸入されたほっそりした馬に人気が移った。8世紀の墓にはますます多くの冥器が置かれるようになる。例を挙げれば、陝西省にある惠庄太子の墓(724年)のような中くらいの墓でも、1000体の冥器がおかれ、そのうちの半分は馬である。チェルヌスキ美術館の陶製の馬は調教される馬だが、鞍付きの馬、何もつけない自然の馬、速足で駆ける馬、戦士や鷹匠、舞姫、音楽家、ポロの選手を乗せた馬など、なんでも造型された。テラコッタに彩色したものの他にも、馬を表したたくさんの冥器が鉛を含む釉薬、酸化金属の入った「三彩」をテラコッタにかけて作られ、それは栗毛やぶちの毛色を馬にあたえるのに成功した。

Reference(s) : 『半人馬,馬,騎手』 パリ,ブールデル美術館 1972年