La Falaise rouge

Wen, Zhengming 文徵明, né en 1470 à Jiangsu (province), décédé en 1559

Entre 1552
Papier, Encre, Couleurs - Pigments
Peinture, Calligraphie
徵明; 徵仲; 徵山
Achat

M.C. 2007-1

款識:壬戌之秋,七月既望,蘇子與客汎舟,遊於赤壁之下。清風徐來,水波不興。舉酒屬客,誦明月之詩,歌窈窕之章。少焉,月出於東山之上,徘徊于斗牛之間。白露橫江,水光接天。縱一葦之所如,凌萬頃之茫然。浩浩乎如馮虛御風,而不知其所止,飄飄乎如遺世獨立,羽化而登仙。

於是飲酒樂甚,扣舷而歌之。歌曰:“桂棹兮蘭槳,擊空明兮泝流光。渺渺兮余懷,望美人兮天一方。”客有吹洞簫者,倚歌而和之。其聲嗚嗚然,如怨如慕,如泣如訴,餘音嫋嫋,不絕如縷;舞幽壑之潛蛟,泣孤舟之嫠婦。

蘇子愀然,正襟危坐而問客曰:“何為其然也?”客曰:“月明星稀,烏鵲南飛,此非曹孟德之詩乎?西望夏口,東望武昌,山川相繆,欝乎蒼蒼。此非孟德之困於周郎者乎?方其破荊州,下江陵,順流而東也,舳艫千里,荊旗蔽空。釃酒臨江,橫槊賦詩。固一世之雄也。而今安在哉?況吾與子漁樵於江渚之上,侶魚蝦而友麋鹿。駕一葉之扁舟,舉匏樽以相屬,寄蜉蝣於天地,渺滄海之一粟。哀吾生之須臾,羨長江之無窮。挾飛仙以遨遊,抱明月而長終。知不可乎驟得,托遺響於悲風。

蘇子曰:“客亦知夫水與月乎?逝者如斯,而未嘗往也。盈虛者如彼,而卒莫消長也。蓋將自其變者而觀之,則天地曾不能以一瞬,自其不變者而觀之,則物與我皆無盡也。而又何羨乎?且夫天地之間,物各有主。茍非吾之所有,雖一毫而莫取。惟江上之清風,與山間之明月,耳得之而為聲,目遇之而成色。取之無禁,用之不竭,是造物者之無盡藏也,而吾與子之所共適。”

客喜而笑,洗盞更酌。肴核既盡,杯盤狼藉。相與枕藉乎舟中,不知東方之既白。壬子[?]月。徵明書。

印: 1.徵仲(朱文) 2.衡山(朱文)  
この絵は、 蘇 軾 (スーシー 1036-1101年)の頌歌、「前赤壁賦」に想を汲んだ古典的なテーマを描いている。この詩は文徴明(ウェンチェンミェン)によって、絵の上部に「小楷」(手書きの小さな楷書体)で書き記された。呉派の画家たちにことのほか好まれたこの主題は、文徴明が何度も、特に横巻の形で扱っている。 「前赤壁賦」のテクストも文徴明は様々な様式で取り上げており、この扇の場合のように絵と直接、結びつけられている。
ある逸話によると、文徴明は86歳で、将棋の賭けで負けた借りを返すために、小楷で蘇軾の「前赤壁賦」を書にしたという。この物語は、真偽はともかく、高い技術と衰えぬ力を必要とする書において文徴明がが得ていた評判の高さを証明している。この逸話の作者にとって、小楷は、この老人の肉体的および精神的な力を象徴するものであった。それは文徴明の同時代人が共有していた評価であろうし、 1552年の作であるチェルヌスキ美術館の絵にも当てはまると思われる。
書に見られる筆運びの繊細さは風景を描くときにも見られる。このような細かい賦での動きと同時に、今日では落ちてしまっている色彩が、絵の構成のなかで大きな役割を果していたに違いない。前景の葉むらの赤はその輝きを保っているが、山々の緑、とりわけ青は色褪せてしまっている。全体は簡素で、古代絵画への好みを証明しており、また蘇軾のテクストの瞑想的な性格に合致している。

Reference(s) : 書誌 エドワーズ 1976, 52番,ルービ1993, p.14-15, ルフェーヴル 2008, p.36-39