Masque féminin

Anonyme

Entre 907 et 1125
Bronze, Dorure
Don manuel : Mahé, Lotus; Mahé, Yves

M.C. 2001-5

死者の装身具2つを構成するものは、遼朝の下、契丹人のエリートの間で行われていた埋葬の貴重な資料となっている。契丹人は体をミイラ化させて、金属の要素を含む服を死者に着せている。遼の正史はこのような埋葬用の装身具について曖昧にしか言及しておらず、単に「死体を覆うもの」とのみ言っている。1980年代に発見された2つの墓からは保存状態の良い遺体が出て来たので、古文書に書かれていた数少ない細かい点を検証し肉付けすることができた。
チェルヌスキ美術館の仮面はそれぞれ鎚で打って形を作った青銅の1枚板でできている。丁寧に磨かれた後、金箔が施されている。死者の仮面は発掘の際、よく見つかる物ではない。格調を高めているのは繊細な線刻である。閉じたまぶたは優雅に波打つ線を描いている。仮面の縁に明けられた穴は金属製の屍衣に結びつけるのに使われる。耳たぶには耳飾りがついていたにちがいなく、残っているのはひとつだけだが、ネコ科の動物の形をしており、女性の仮面についている。耳飾りは遼の支配下で特に流行したが、契丹人にのみ特有なものではなく、当時広まっていた意見に反して、隣国の帝国、宋で広く流行していた。
耳飾りに較べると、死者に被り物がつけられているケースは少ない。織物で作られたものはほとんど残らなかったのだろう。チェルヌスキ美術館の仮面には、どちらも金メッキをした金属板の被り物が付けられている。金属板は複数あり、透かし彫りがしてあり、金属紐でまとめられている。
女性の被り物は、青銅に金箔を施したもので、垂直の丈の高い翼がついている。アルホルチン旗に描かれている被り物の装飾に良く似たヘッドバンドで蔓模様が強調され、線刻で丁寧に飾られた雲のあいだに鳳凰の装飾がある。鳳凰の戦闘的な形態は遼朝の特徴だが、どういう理由なのかはよく分からない。発掘では同じ形の被り物が3つ見つかっており、2つは金メッキされた青銅で、もう1つは絹である。今のところ、このタイプの布製の被り物でこれより古いものは見つかっていない。
この珍しい一式は。様式的な特徴から12世紀の最初の四半世紀のものと考えられる。

Reference(s) : ジル・ベガン(監修)『チェルヌスキ美術館,1993-2004の中国美術取得作品』Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2005, p.122-126。