Coupelle

Anonyme

Entre 1115 et 1234
Porcelaine, Glaçure = Couverte, Gravé = incisé
Vaisselle et ustensile de cuisine, Récipient (vaisselle)
Don manuel : Mocquard, Pierre

M.C. 9764

神宗の治世(1068-1085年)以降、定窯は覆焼法を完成した。これは椀や皿を作るのに使われた技術で、逆さにした器をリング状の支えにかけて焼く。器は匣鉢の中で横に並べられる代わりに縦に積み重なるような形にされる。こうすることで、少なくとも2つの利点がある。まず、空間を最大限に利用して生産量を増やすことができ、次に原料が節約でき(磁器の口縁部を支えることにより、素地が薄く、広口で高台の小さい磁器ができる)、費用の節約につながる。口縁が支えにくっつかないように、この部分には釉薬をかけなかった。そこで、この無釉の部分に金銀や青銅のような金属の覆輪をはめた。南宋を出典とする文献の主張とは異なり、これは当時、不都合とは考えられていなかった。まず、金属の覆輪をはめる習慣は覆焼よりも以前からあったし、その最初の目的は貴重品の特徴を強めることにあった。また、口縁の表面がざらざらしているほうが覆輪の接着に適していたのである。
嵌め込み装飾は、定窯の磁器には五代(907-960年)の時代に既に現れている。釉薬の象牙色は、部分的には燃料として炭を使ったことに由来しているが、南宋と金の特徴である。

Reference(s) : マリー=テレーズ・ボボ,『既知と未知の中国:チェルヌスキ美術館,10年間の蒐集』,パリ,Paris-Musées(パリミュゼ),1992 p.43-44。