Jeune Femme en train de se peigner

Nguyen, Phan-Chanh, né en 1892 à Vietnam ou Việt Nam, décédé en 1984 à Hanoï

En 1933
Encre, Couleurs - Pigments, Soie
Peinture
癸酉之仲夏, été 1933阮潘正, Nguyễn Phan Chánh鴻南, Hồng Nam (son pseudonyme)
Don manuel : Dauriac, Jacques-Paul

M.C. 9904

グエン・ファン・チャンはインドシナ美術学校の最初の卒業生の一人で創立された1925年に入学している。フランス人画家ヴィクトール・タルディユーによって新設されたこの学校は西洋の技術や様式と現地の伝統とを付き合わせて「インドシナ」様式を花開かせようという野心的な計画を持っていた。
グエン・ファン・チャンはこうして色彩を抑制した簡素な様式を作り上げる。これにより彼は自分の民族のアイデンティティの本質を掴もうとした。この髪を梳く若い女性はベトナムと中国とフランスを出自とするさまざまな要素の絶妙なバランスを見せている。
東洋からは、チャンは絹布に水彩絵の具で書く技術と段々で遠近を表現する構成を採用した。中国の影響は、絹糸を結んだお守りと二つの字が部分的に見えている書に現れている。漢字の草書体は、彼が中国風の教育を受けたことと自分のベトナム人芸術家としてのアイデンティティに中国古典の教養を取り入れようとしたことを示している。上部左に「癸酉之仲夏」とある漢字は「みずのととり(中国伝統暦で60年周期のうちの10年目)の夏」という意味で、1933年夏に相当する。下部右には、同じ日漬けと画家の名前が西洋風に書かれているが、その上に漢字で 鴻南という画名と 阮潘正という本名が書かれ、「寫 (により描かれた)」という字と赤い落款がついている。
地元の名人芸は螺鈿を嵌め込んだ紫檀の丸い箱に表現されている。栄螺は東洋の海に棲む大きな貝で青、緑、バラ色の反映を輝かせる螺鈿の材料となる。グエン・ファン・チャンはさりげなく登場させている。前景には、絹糸で刺繍を施された女の靴がベトナムのもう一つの素晴らしい工芸を想起させる。刺繍は当時、たいへん人気があり中国南部まで輸出されていた。