Cavalier

Entre 386 et 534
Terre cuite, Moulage, Couleurs - Pigments
Statuette, Mingqi
Achat en vente publique

M.C. 7635

高位の死者に武装した男子の小像を供につける風習は、六朝時代にも続いた。こうして、山西省大同にある司馬金龍の墓にあった154の副葬品のなかに、軽騎兵隊の騎兵がいくつか見つかった。 484年に亡くなったこの王子は北魏で武官としても文官としても重要な地位に就いていた。敦煌の壁画、特に第285洞窟の南壁にも、戦闘服に身を包んだ騎兵が描かれている。
古代の鎧から発展した西洋の重い鎧とは反対に、中国人は革製の動き易い鎧を作る技術を発展させ、騎兵の素早い動きに完璧に対応できるようにした。馬の防護は小さい板を縫い合わせて水平の広い帯をつくるが、一部は動きに対応できるようになっており、チェルヌスキ美術館の冥器の上にはそれがよく見て取れる。騎兵は胸甲も柔らかいものをつけている。馬の頭は特別なもので覆われている。
漢時代にはよく使われたが6世紀には稀になった技術で、小像の上部だけが型で作られている。
馬の足と騎兵の槍は木で作られていたので消滅した。

Reference(s) : ジル・ベガン,『チェルヌスキ美術館のアジア芸術』, パリ,Paris-Musées(パリミュゼ)/Findakly(フィンダクリ)刊, 2000年, p.94-95。
ジル・ベガン,『墓のなかの小さい人々』 Paris-Musées(パリミュゼ),2010, p.48。