La Nymphe de la rivière Luo

Fu, Wen 傅雯

Entre 1744 et 1765
Encre, Papier
Peinture
Peint au doigt par Wen à la demande du sieur Pei An le taoïste
Legs : Cernuschi, Henri

M.C. 4464

款識:裴菴道長先生囑雯指墨。

 印 : 1.傅雯(白文) 2. 愷亭(朱文)

傅雯(フーウェン)は、高其佩(ガオ キーペイ)や李世倬(リーシーチュオ)と同じく、満州に定住した家族の出身だった。軍に属し、幟を作る役目を負っていた多くの画家に倣って、傅雯(フーウェン)は、高其佩(ガオ キーペイ)流の 指畫(指頭画)を描いた。アンリ・チェルヌスキが傅雯の人物画は、2つとも指で描かれたもので、この技法の代表例ともなっている。 傅雯は筆も使い、繊細なスタイルの、特に宮廷で好まれた古典的な山水画の作家でもあった。実際、傅雯は一時期、宮廷画家のように俸給をもらう畫畫人(ファファレン)であり、 1746年に任を解かれるまでこれを務めた。首都で務めにあった時代には巨大な仏教界画、『勝果妙音圖』 をものしている。これは指頭画として前例のない大作である。 
チェルヌスキ美術館の絵は、この大作のスタイルを彷彿とさせる。
この作品は仏教美術にこそ属さないが、洛河の精の顔立ちが、『勝果妙音圖』 にたくさん現れる菩薩の顔立ちに似ている。この時代に活躍していた芸術家たちは、神性な女性、不死の女性、美人は絵画的には同じ手法から生まれたのである。それで、、顧 愷之の作とされる構成のなかに何度も現れる洛河の精が、観音と同じく明の時代以降、独立した主題となったのだ。傅雯(フーウェン)の先駆者である高其佩(ガオ キーペイ)が自分の描く女性の表象を、その成功度によって分類していたことを指摘しておこう。 そのなかで最も完成度の高いものは観音菩薩を具現化したものとされ、他のものはその美しさによって呼び名が与えられた。指頭画の画家による洛河の精の絵は複数あるが、よく知られている。傅雯(フーウェン)の構図は上海美術館の画帳にある1枚(天女)に似ているが、墨を使用していること、暈かしと乾いた線は、広東美術学院所蔵の掛け軸を思わせる。傅雯(フーウェン)の成功はこのような大画面の構成にエネルギーを吹き込んだことに負っている。

Reference(s) : エリック・ルフェーヴル『中国絵画の6世紀,チェルヌスキ美術館修復作品』 パリミュゼ 2008年, p.88-89