Coupe

Entre -300 et -50
Terre cuite
Coupe (récipient)
Fouille 3, siite de Đông Sơn, Thanh Hóa
Don fouilles : Mission Janse Indochine (1934-1935)

M.C. 10787

ドンソン文化の墓遺跡で見つかる陶器は、青銅器に較べるとずいぶん洗練度が足りないようにみえる。形もまちまちで、焼きの質もばらばらだ。用いられた粘土はオレンジ色っぽいものから赤茶までの色を帯びる。器の見込は薄いこともあるが多くは厚く、この椀もそうであるし、最もよく見られる形である壷類にしてもそうだ。もう少し洗練された作品も見つかっている。二つあるいは三つの部分を持つ杯や器で、高い脚、舟底型のシルエットを持つ胴などを持っている。ドンソンの陶器は手で作られたもので、たぶん籠製品の形を使い、その上に粘土を被せたようだ。背がすらりと伸び均一な形を得たり、曲線のシルエットをもたせたりするろくろは使われていない。なので、開口部の締まった入れ物を作るために、ドンソンの陶工は二つの半球または二つの円錐台形を繋いで、つなぎ目に畝をつけたり、粘土で埋め尖らせたりしてて目立たせる。ヤンセが提唱した「籠陶器」と呼ばれる技術を使ったという仮説は、櫛やローラーを使った装飾が見られること、型や粗い繊維の布を陶器の外から表面に押し付けていることから推察された。
この椀は、ドンソンの品に特有の櫛目模様と環状の小さい脚を持っている。唇の高さに刷り込まれた輪模様は、青銅作品の模様を思い起こさせる。比較的高温で焼かれ、粘土は濃いがザラザラしていたようで、不純物が多く含まれ、焼いているときにひびを生んだ。しかし紀元前1世紀前半を通じて、鉱業の発展が窯の質を高め土の下準備を改良して陶業技術の進歩をもたらしたことは否定しがたい。紀元後1世紀からはドンソン社会には徐々に中国文化が浸透し、中国の技術の伝播が交趾時代の洗練された原始炻器を産む。