商王朝は現在の河南地方を治め、都を、始めは二里岡(中州の村)に、その後、小屯村(安陽の近く)に置いた。祭儀に使われた青銅器の装飾は始めは単純な線が盛り上がったものに過ぎなかったが、後にはくっきりとした凹凸のある非常に豊かな紋様のレパートリ―を持つに至る。

中国の歴史は、夏(紀元前2200-1700年ごろ)という最初の王朝で始まるのが伝統だ。この時代に、最初の青銅の祭儀用の器が現れている。まだ数は少ないが、河南地方にある二理頭の遺跡から発掘されている。考古学者に幾人かは、二理頭文化が夏王朝であるという考えで一致している。同じく二里頭文化に属する遺跡が河南の周辺地法で発掘されている。

中国東方の部族の国、商は、夏の王国の弱まりにつけこんで、権力を取る。二里岡(河南、小屯村)で城砦都市が発掘されて青銅器と焼物が出土し、この都市が商時代の初頭のものであることが分かった。出土したのは主に、祭儀や葬儀に用いる酒を入れるものである。この発酵した飲み物を捧げる供犠は、王の先祖や未だによく知られていない多くの神々の信仰に不可欠だった。紀元前1550年から1300年の間、都は二里岡に置かれた。祭儀用の青銅器の装飾は、盛り上がった筋の帯模様だけである。非常に様式化された動物の形の模様が組み合わせ模様の真ん中に見て取れる。想像上の動物の面のようで(中国学者は「饕餮文(とうてつもん)」と呼んでいる。太い眉の下に出っ張った目をし、顎には牙がついている。なんでも貪り食う怪物だが、そこから「魔を食らう」という害悪を防止する性質も帯びた。

1300年ごろ、首都は安陽地方(河南)にある現在の小屯村に移された。青銅器の形のレパートリーはずっと豊かになり、装飾の凸部もよりはっきりする。神話上また現実の獣が非常に多く、模様になったり装飾を施されたりして現れる。饕餮、動物の仮面、龍、夔(キ)、蝉、鳥などである。背景には、雷を表す昔の表記法を思わせる四角い螺旋(雷紋)がある。安陽(紀元前およそ1300年-1050年)の末期に、動物の装飾は密度が濃く極めて力強いものになる。この王朝の正史は、部分的に確認が取れているが、それは動物の肩甲骨や甕の腹甲に書き込まれた神託のおかげである。

最近の考古学の研究により、商の文化が花開いていた同時代に、他にもいくつかの文化があり、商の王はそれらとしばしば緊張関係にあったということが分かっている。

そのうちのひとつ、現在の湖南省に広がっていたものが、実在する動物と幻獣をミックスしたオリジナルな青銅器の発祥地である。また四川省にあった文明からは素晴らしい青銅の人体像が出土しているが、それが何であったかについては未だに推測の域を出ない。