日本に現れた最初の絵画芸術の痕跡は、漆の道具に赤と黒で彩色した装飾で、縄文時代(紀元前1万500年-400年)に遡る。

日本に仏教が導入された538年あるいは552年以降、大陸から入って来た図像がある。寺院の内壁や刺繍を施した壁掛けや祭具に仏陀が描かれるようになるのだ。平安時代(794-1185)には、新しく中国大陸から輸入された密教に則った宗教絵画が隆盛した。

ひらがなが発明されると宮廷文学が栄え、その最高峰は疑いなく1000年ごろに成立した紫式部の『源氏物語』だろう。

禅仏教の影響のもとに中国から入って来た水墨画が、室町時代(1336-1573)に発展する。水墨画は、将軍の屋敷の障子絵にも採用された。狩野正信(1434-1530)が始めた狩野派がこれを請け負うことになる。古典文学のテーマを再び取り上げたのは特に俵屋宗達(生年不詳、1600年から1640年ごろに活躍) である。その大胆な構図、驚くべき近代性、幾何学的な形の広い一色塗りは、土佐派の細密な技巧の伝統と断絶し、日本絵画を新時代に突入させた。そのスタイルは琳派の芸術家たちによって受け継がれ、琳派が活発になるのは17世紀末である。

西洋絵画および版画は16世紀初めに伝わるが、画家たちに影響を与えるようになるのは、18世紀になってからだ。写生派といわれる運動がそれで、京都で、円山応挙(1733-1795)により創立された丸山四条派に影響した。円山応挙は近代絵画への道を開いた。