日本コレクションは、3600点を数え、そのうちおよそ2000点が青銅器、1600点が陶磁器で、チェルヌスキ美術館の蒐集品の3分の1を構成している。

このコレクションは、アンリ・チェルヌスキが、美術批評家のテオドール・デュレ(1838-1927)をともない1871年10月から1872年12月に行ったアジア旅行の際に集められたものをベースとしている。その後、ジークフリード・ビング(1838-1905)のようなパリの美術商から購入したものや、競売で購入したものが加わってコレクションはさらに充実した。競売には、当時の多くの美術愛好家や蒐集家と同様、チェルヌスキも夢中になったに違いない。

1898年の美術館開館後には、弥生時代(紀元前400年-紀元250年)の矛槍(銅戈)や、琳派を代表する尾形光琳(1663-1743)描く屏風の一部のような価値ある美術品が、1959年にオーギュスト・ルノワールの生徒だった梅原龍三郎画伯(1888-1986)から寄贈されてこの歴史的価値のあるコレクションに加わった。

近年の購入作品は、とりわけ絵画と現代陶磁器の分野で既存のコレクションをさらに充実させることを目指しており、中には岸連山(1805-1859)の描く対屏風のような第一級の作品が含まれている。古い漆の一式の中には、他のものに交じって、桃山時代(1573-1603)の見事な南蛮書見台や江戸時代(1603-1867)の香具のための道具箱のような琉球諸島由来の珍しいものもある。

エミール・ギメ(1836-1918)によるコレクションと同様、この日本コレクションにはアジアの宗教に対する西洋の強い関心がうかがわれる。2階の大きな部屋の中央に鎮座している阿弥陀如来像がそのよい例で、今日に至るまで当美術館の象徴となっている。日本コレクションはまた、チェルヌスキが、江戸時代末から明治時代(1868-1921)初期という、彼にとっての同時代美術を好んでいたことを証明している。こうした趣味は19世紀後半の日本愛好家の間ではよく見られた。日本美術の愛好家たちは、特に日常的に使われる道具や「美術工芸」と呼ばれるものに魅了されたのである。

パリに戻って数ヶ月後、チェルヌスキは、その自由主義的な気風から、1873年8月から1874年1月、第一回国際東洋学者会議を機会に、自分のコレクションを産業館でフランスの人々に公開した。そこでたくさん展示された日本の物品は、たいへんな成功を収めた。人々はとりわけブロンズ、なかでも仏教関連の像や動物、花瓶に惹かれ、その「柔軟性、優美さ、簡素な形、材質の純度、経年による色の変化の比類ない美しさ、彫金細工の仕方」を高く評価したとルイ・ゴンス(1846-1921)は伝えている。(『シャンゼリゼの東洋博覧会』 ル・モニトゥール・ユニヴェルセル社、1873年11月4日)。数年後の1883年、ゴンスは日本美術についての大著のなかでその例を詳述している。(M.M)

日本絵画
日本に現れた最初の絵画芸術の痕跡は、漆の道具に赤と黒で彩色した装飾で、縄文時代(紀元前1万500年-400年)に遡る。