青銅の冶金が日本に現れるのは、弥生時代中期(紀元前100年ごろから紀元後100年)、鉄器時代から少し遅れたころである。

石器は徐々に金属器に取って代わられて行った。鉄は実用にのみ用いられ、「高貴な」金属は青銅だった。青銅は銅剣や銅矛、銅戈や鏡や銅鐸また腕輪やペンダントなどに使われた。

6世紀に仏教が導入されると、青銅は特権的な材質になる。仏像の鋳造に使われたことは、今日でも当美術館の2階の大広間に君臨している阿弥陀仏が証明している。香炉や祭壇の花瓶や偶像にも使われた。江戸時代の末には、私物として使う青銅製品も広まっていた。花瓶、筆置きや水滴のような文房具、「置物」とよばれる特に床の間を飾るための小像や装飾品である。これらの品々は、明治時代(1868-1912)の初めにヨーロッパやアメリカに向けた輸出用の工芸の模範の役を果たす。