西漢(紀元前206年-紀元後9年)は、強い中央集権国家となり、中央アジアにいくつもの道を開いた。東漢(25-220年 )の時代に、仏教が宮廷に取り入れられた。

都を長安、現在の西安に置いた西漢(紀元前206-紀元後9年)は、中国の歴史の指標となる時代である。漢は秦の時代の延長上に中華帝国を到来させる。それは絶えず郡と県に領土が分たれて行くことが示している。こうして漢は秦にならって政治的大事業を行う。強大な中央集権の帝国を発達させ、その国境を中央アジアの方にまで広げ、中央アジアとりわけイリ川とフェルガナ盆地へと開いた道を経由して使節を送り、かの有名な「一日に千里を走る」馬を手に入れている。

2世紀以降のイコノグラフィーには、不死の生き物が、様々な動物を混合したものの姿で現れる。その人気は、西王母が滞在した崑崙山のような、死後に行く場所への信仰の勃興と軌を一にしている。
東漢(25-220年)は、王莽(おう もう)の治世(新 紀元9-24年)を挟んで西漢に続く。都を洛陽(ルオヤン)に移したのは王莽である。仏教は、紀元1世紀から認められ、宮廷に入る。東漢は洗練された文明を持っていたものの、西漢の栄光を取り戻すことはできなかった。東漢の歴史は皇帝の力が弱まり宦官の影響力が拡大する歴史である。

芸術においては、ぼんやりした突起で区切られたS字カーブが作る動きのある装飾が支配的になる。職人仕事が発展したのは、所有地に深く根を下ろした優雅で洗練されたエリートが自分の農地収入で保護したためである。政府も奨励し、特に四川には漆工場が作られた。